母体は1968年結成の「演劇センター68」。1971年に元自由劇場の作家・演出家の佐藤信、元発見の会の俳優・斎藤晴彦、元六月劇場の作家・演出家・俳優の山元清多らを中心に、「68/71黒色テント」の名で旗揚げする。黒い移動式テント劇場を用いて、全国的な上演活動を展開。この旅公演にこだわった姿勢と、強い社会性と高い娯楽性を違和感なく融合させた舞台で、劇団天井桟敷や状況劇場などと共に、70年代のアングラ…続きを読む
母体は1968年結成の「演劇センター68」。1971年に元自由劇場の作家・演出家の佐藤信、元発見の会の俳優・斎藤晴彦、元六月劇場の作家・演出家・俳優の山元清多らを中心に、「68/71黒色テント」の名で旗揚げする。黒い移動式テント劇場を用いて、全国的な上演活動を展開。この旅公演にこだわった姿勢と、強い社会性と高い娯楽性を違和感なく融合させた舞台で、劇団天井桟敷や状況劇場などと共に、70年代のアングラ演劇ブームの中心的な存在となった。70年代後半より、欧米志向の強い日本演劇界の流れに対し「アジア演劇」を提唱。この時期に発表した『日置野ジャンバラヤ』で、山元が1983年に第27回岸田國士戯曲賞を受賞している。1990年に劇団名を「劇団黒テント」と改称。90年代はブレヒト作品の連続上演や、漫画家・松本大洋とのコラボなどが大きな話題を呼ぶ。2005年、席数約120の小劇場[theatre iwato]を新宿・神楽坂に設立した。現在も佐藤や山元の作品だけでなく、海外戯曲や若手作家の芝居も積極的に上演するなど、精力的に活動中。TEXT / Yoshinaga Miwako