1982年、「高校演劇の寵児」と呼ばれ、当時早稲田大学の学生だった作家・演出家の横内謙介が、俳優の岡森諦、六角精児などと共に旗揚げ。当時の劇団名は「善人会議」。横内作のドラマティックな物語と、個性的な役者たちの演技が生み出す「観やすい! 楽しい! 分かりやすい!」舞台で人気を博す。87年に紀伊國屋ホール初進出を果たし、以降主に中劇場クラスの小屋で公演を行う。1992年『愚者には見えないラマンチャの…続きを読む
1982年、「高校演劇の寵児」と呼ばれ、当時早稲田大学の学生だった作家・演出家の横内謙介が、俳優の岡森諦、六角精児などと共に旗揚げ。当時の劇団名は「善人会議」。横内作のドラマティックな物語と、個性的な役者たちの演技が生み出す「観やすい! 楽しい! 分かりやすい!」舞台で人気を博す。87年に紀伊國屋ホール初進出を果たし、以降主に中劇場クラスの小屋で公演を行う。1992年『愚者には見えないラマンチャの王様の裸』で、横内が第36回岸田國士戯曲賞を受賞。93年、劇団名を「扉座」に改名する。2001年には演出家・栗田芳宏を招へい、2002年には脚本家・大森寿美男の書き下ろし作品を上演するなど、近年は外部の表現者とのコラボレーションも積極的に展開。また『フォーティンブラス』や『いとしの儚(HAKANA)』など、アイドル主演の舞台で上演される旧作も多い。2008年、韓国人俳優を迎えてリメイクした『お伽の棺』が、韓国全国演劇祭&釜山国際演劇祭に招へいされ、劇団創立26年目にして初の海外公演を実現させた。TEXT / Yoshinaga Miwako