1976年に、京都大学演劇研究会を母体に旗揚げ(当時「卒塔婆小町」)。1978年、俳優・辰巳琢郎(旧名つみつくろう)を2代目座長に「劇団卒塔婆小町」として再出発。翌1979年に現代の名前に改名。作家・演出家が自らの世界を体現するために劇団を組むケースが多い小劇場界において、基本的に役者が主導権を握り、その時々で異なるスタイルの芝居を上演するという、「役者集団」的なスタンスで活動している。特に4代目…続きを読む
1976年に、京都大学演劇研究会を母体に旗揚げ(当時「卒塔婆小町」)。1978年、俳優・辰巳琢郎(旧名つみつくろう)を2代目座長に「劇団卒塔婆小町」として再出発。翌1979年に現代の名前に改名。作家・演出家が自らの世界を体現するために劇団を組むケースが多い小劇場界において、基本的に役者が主導権を握り、その時々で異なるスタイルの芝居を上演するという、「役者集団」的なスタンスで活動している。特に4代目座長の生瀬勝久(旧名槍魔栗三助)の時代には、当時起こった「関西小劇場ブーム」の波にも乗って、一躍全国にその名を知られる存在となった。過去には上海太郎(2代目座長/現上海太郎舞踏公司)、川下大洋(旧名はりけーんばんび/現Piper)、山西惇、みやなおこなどが所属。またドラマ『TRICK』の脚本で知られる蒔田光治(旧名安田光堂)も、座付作家として在籍していた。5代目座長で作家・演出家の小原延之の時代を経て、2005年から俳優・北川肇が6代目座長を務めている。現在も関西を中心に年1~2回の本公演を上演する他、劇団アトリエやライブハウスを使った実験的ミニ企画もしばしば催している。
TEXT / Yoshinaga Miwako