新宿・歌舞伎町で31年間、シャンソンを歌い続ける“伝説の男”の、ドラマティックな歌声が、この秋、銀座に響きわたる!!

INFORMATION

[公演日・会場]
CHANSON THEATER 2006 in GINZA
2006年10月3日(火)
ル テアトル銀座

[公演日・会場]
CHANSON THEATER 2006 in KOBE

2006年11月11日(土)
ジーベックホール

CHANSON THEATER 2006 in GINZA(追加公演)
2007年1月9日(火)
ル テアトル銀座

CHANSON THEATER 2006 in NAGOYA
2007年1月26日(金)
名古屋市芸術創造センター

[発売日程]:プレオーダー、:一般発売
11月1日(水)〜11月5日(日) 11月12日(日) 〔in GINZA(追加)〕
10月28日(土) 〔in NAGOYA〕
発売中 〔in KOBE〕

若林ケンさんから動画メッセージが届きました。

 

動画を見る

e+ special interview 若林ケン

 

なんと、還暦を迎えてからCDデビューを果たしたシャンソン歌手がいる。

その名も、若林ケン。

  かつて『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』など、数々のつかこうへいの舞台に出演し異彩を放っていた彼は、もともとは新宿・歌舞伎町にある“ペイトンプレイス”という小さなBARのマスターなのだ。

  今、現在も彼は毎夜のように店で歌い、そしてコンサート会場では、その圧倒的な表現力で大勢の客に感動の涙を流させているという。

その彼の店、“ペイトンプレイス”を訪ね、シャンソンへの深い想い、そして10月にル テアトル銀座で開くコンサート『CHANSON THEATER(シャンソン シアター)』のことについて、語ってもらった。

 

つかさんの舞台に出続けた15年間、ものすごくいい時間をもらったと思っています。

 

――そもそも、若林さんとシャンソンとの出会いとは? というところからお聞きしたいのですが。

 それが、まったく偶然の出会いでしてね。僕が 35 歳のときでした。
ある日、飛び乗った山手線に昔馴染みの女性が乗っていまして。「今、何しているの」と聞いたところ、“銀巴里”という店でシャンソンを歌っていると。「じゃ、観に行くね」ってことで行ってみた銀巴里で聴いた、たった 1 曲のシャンソンに涙が止まらなくなってしまって。
  それはシャルル・アズナブールの『私は一人片隅で』という曲でした。
僕も若い頃、相当遊んでいたかもしれないんですが(笑)、その時、泣かせた女の子の立場になって聴いて「ずいぶんひどいことをしちゃったな」という思いで、涙が止まらなかったんです。

――女性の立場に感情移入できたんですか?

 そう! これができた。
それ以来、僕は 89 %くらい、女性側の歌を歌っているんです。
 

―― 89 %?(笑) でも不思議ですね、女性の立場で、っていうのは。

 ワンクッション置いたほうが、言いづらいことが言えてしまうってところもありますし。大体において、男がみじめったらしいと、歌にならないですからね。
 でも、その最初の1曲で見事にハマってしまって。
シャンソンっていうのは、こんなに情感が深いジャンルなんだと。ワビとかサビとか、切なさとか、全部の感情が歌に入ってきますからね。

だったらこのシャンソンを深めてみようかなと思ったんです。それからは、ひたすらシャンソンを覚えるだけの日々でした。

―― 数は、限りなくありますものね。その中から曲を決める時、どういう基準で選曲なさるんですか?

 まずは聴いて、感動した曲から覚えていきました。僕は絶対、情景が浮かばないと歌えないんです。演劇的な情景が浮かばないと、歌わないというより、歌えない。

  ぐっときた曲、涙がこぼれた曲しか覚えませんでした。

 

――そしてそのうち、辻村寿三郎さんに出会い、つかこうへいさんに出会い。

 そうなんですよ。
つかさんは突然この店に来てね。えんえん、ここで歌っていたんですよ。

――え? 若林さんじゃなく、つかさんが歌っていたんですか?

 最初はね。
でも、僕が歌い出したら、それ以降、つかさんは歌わなくなった。

  目が点になったような顔してね。「これをなんとか舞台に乗せたい」と思ったそうです、その時に。
  当時つかさんは7年間舞台をやっていないブランクの時期でね。その想いをきっかけに、岸田今日子さん主演の舞台『今日子』をつくったそうです。

――舞台に出てくれと言われた時、若林さんはどう思われたんですか。

 それが、ある時「芝居をやるんだけど、稽古場に見学に来ないか」と言われてね。稽古場に行ってみたら、すでに稽古中で。

中に入ってみたら、つかさんが振り向いて「ケンさん、そこに立ってください。岸田さんのあごを持って「俺とキスするのは10年早えよ」って言ってください、ハイ!」って。

――えっ、いきなりですか?(笑)

 ええ? って思って言われた通りにしたら、チャララ〜って、曲が流れてきたんですよ。もう、用意してあったんですね。
「ハイ、そこでケンさん、いつものように歌ってください!」って。そこから、つかさんの舞台に出る生活が15年間続くわけです。


――その後は毎回のように、つかさんのお芝居に出られて。大変でしたか、2足のワラジは。

 いや、ものすごくいい時間をもらったと思っています。楽しかった!
やっぱり、つかさんが関わる役者はみんな一流なんですよ。そういう人たちと同じ板が踏めたというのは、得るものが多かったですね。

僕のコンサートは涙が命、泣かせてナンボですよ。ですから泣きたい方はぜひ!

    

――そして60歳、還暦でCDデビューを果たされました。

 シャンソンには恋の歌や青春の歌、娼婦の歌、いろいろありますけど、どうしても歌えなかったシャンソンがあるんです。
  それは、人生の歌です。 59.9歳まで歌えなかったんです、人生を語るなんて恥ずかしくてね。 それが、60歳になった時に「これで人生の歌が歌える!」と思えるようになって。  それで、デビューしたわけです。

 

――60歳になるまで、人生の歌は一切。

 そう、封印していたんです。59.9歳でも、まだまだ若造ですからね、還暦、暦がめぐってからにしようと。
  それがデビューへの一番大きいきっかけになりました。


――デビューされてから、なにか心境の変化はありましたか。

 それは、特にないです。
ただ、こうして歌うことによって、同世代の方に元気を与えたいですね。こういうこともできるんだよ、なにごとも遅すぎることはないんだ、と。

  「Never too late!」です。
今、団塊の世代を満足させる音楽ってないじゃないですか。そこで僕の歌です! って自負があるんです。
  そして、その世代に1番わかってもらいたいのは、人生の最後に青春って季節が来たら、その人生がどんなに素晴らしいかってことなんですよ。

――さて、この10月に行われるステージについて、ですが。今までのステージよりも、さらに演劇的な要素を強めるとか?

 僕は、シャンソンっていうのは1曲1曲が、一幕モノのお芝居だと思っているんですね。だから、そういう曲を選ぶようにしているんです。 なにげない歌なんて、歌えないですよ。濃くないとダメ。
 だからこそ、このタイトル、『CHANSON THEATER』になっているんですから。
曲の構成はこれから考えますが、聴いている方の心に自然と情景が浮かぶような曲、それだけははずしたくないです。

  今までのコンサートのアンケートでも「目の前に、行ったこともないような情景が浮かんできました」「涙があふれて止まりません」っていうものが1番多いんですよ。


――それはつまり、若林さんの歌に込めた想いがちゃんとお客様に伝わっている証拠ですね。

 そういうことですよね。歌ってる最中でも、みなさんが泣いているのが見えますから。


――涙する歌が多いわけですね。

 ええ、涙が命ですよ、僕のコンサートは。泣かせてナンボ。だから泣きたい人は、ぜひ来てください。泣くことって1番のストレス解消になるんですって。
  だから僕の歌を聴いて、たくさん泣けば、劇場を出たときにはスッキリ、明日の生活にリセット! って感じになっているんじゃないかな。


――では、お客様には、今回もたっぷり泣きに来てもらいたい、ということですね。

 そして、若い時の恋や人生を思い出してもらいたい。
僕はね、無茶かもしれませんが年間300本のステージをやることが目標なんです。もう、休んでいる暇なんかないの。いくつまで歌えるか、わからないし(笑)。最後の情念を、あと10年は燃やしたいんです。


――若い方へも、ぜひ、お誘いのメッセージをいただきたいのですが。

 感性っていうものは、いいものを観たり聴いたりしないと絶対に養われないんです。それも、ちゃんとホンモノを観ないとダメ。

  だから本当はCDよりもナマの舞台を観てほしいんです。
のちのち、素晴らしい感性を持つ中年、老年になるためには若い時からホンモノ、いいものを観続けなきゃいけません。

  それを観ないのは人生の大損失ですよ。


――そして今回は、銀座という場所にも思い入れがありそうですね。

 この間も銀座のヤマハホールでやったんですが。その時もね、「この角を曲がったところが銀巴里だったんだ」と思ったら、石畳までもがいとおしくなって。まさに、若い、青春の足跡ってやつかな。もう、なんだかこみあげるものがありました。

  僕ね、それまで銀座なんて行ったことがなかったんです。
銀巴里がなくなってからもさびしくて、全然行ってなかった。だから懐かしさに、涙がこぼれそうでした。
やはり、銀座には特別の想いがあります。
シャンソンのために通っていた銀座に、またシャンソンのために戻ってきたという感じですね。

  そういう点からも、今回は気合の入ったコンサートになると思いますよ。



写真/渡辺マコト
取材・文/田中里津子

若林ケンprofile

 1970年代後半から銀座のシャンソン・カフェ『銀巴里』に通いはじめ、シャンソンを歌い始める。29歳で新宿歌舞伎町に、自らもステージに立つシャンソン酒場「ペイトンプレイス」を開店。

  その後、京王プラザホテルでの初のディナーショーを皮切りに、現在までホテルオークラをはじめ数多くのリサイタルを開く。
  一方、様々なアーティストたちとの親交も厚く、1986年より人間国宝、人形師の辻村寿三郎とともに人形舞とシャンソンとのコラボレーションを展開。 その芸術性が高く評価されロングラン作品に。

  また劇作家・つかこうへい作・演出、舞台『今日子』で岸田今日子と共演、その後も『幕末純情伝』『熱海殺人事件モンテカルロ・イリュージョン』等のつかこうへい作品に15年間出演し、俳優としても活動の幅を広げる。
  2002年からは世界的に活躍するフラメンコダンサー・長嶺ヤス子の『ガラスの糸の上で』『ボンボヤージュ』等で共演。
  2005年3月、シャンソン歌手として60歳でデビュー。

  還暦プロデビュー・コンサートツアー『CHANSON THEATER2005』を行う。シャンソン歌手のソロリサイタルとしては、1万人という驚異的な動員数を記録した。