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ピナ・バウシュが遺したタンツテアターの傑作、日本初演!
2009年6月30日に急逝したピナ・バウシュ。本拠地ドイツ・ヴッパタール市のオペラハウスで執り行われた追悼式では、集まった多くの人々が偉大な芸術家の死に涙し、また、州政府代表は彼女の伝説的活動を称え「その芸術的遺産が確実に保管されるよう強く望む。それこそ彼女の遺志である。」と語ったといいます。
ダンス、演劇、アート等のジャンルを超えて、世界中の人々に敬愛されたピナ・バウシュの作品。そこには一貫して、現代を生きる私たちにとって切実な「愛とコミュニケーションの断絶」という問題と向かい合う、真摯で暖かなまなざしがありました。
日本でも多くのメディアで取り上げられた急逝のニュースによって、はじめて彼女の名前を耳にした方も多いはず。追悼公演にふさわしいピナ・バウシュが遺した最高傑作を通じて、彼女の世界に触れてみてはいかがでしょう。
「私と踊って」 Komm tanz mit mir (1977初演)
- 振付・演出 ピナ・バウシュ
- 美術・衣裳 ロルフ・ボルツィク
- 音楽 古いドイツ歌謡より
- リュート伴奏、独唱、合唱
「ダンスはことばで言えないすべての感情を表現することができます。」 ピナ・バウシュ
「私と踊って」は27名のダンサーが登場する大作で、ピナ・バウシュ作品に珍しい“全1幕”の構成。ヴッパタール舞踊団の初期から主要メンバーのひとり、ジョセフィン・アン・エンディコット*が作品のライトモチーフを初演以来演じ続けている、ピナ・バウシュの舞踊芸術を知る上で、もっとも重要な作品。「ピナ・バウシュ・フェスティバル2001」よりしばらく上演が封印されていたが、2008年10月と2010年2月にヴッパタールで復活上演が行われ、今回、待望の日本初公演となる。
男女で繰り広げられる様々な心理的なドラマ。タイトルそのままに「私と踊って」という言葉が、彼らの結びつきを模索するように何度も繰り返される。
欠陥だらけの男女の関係、満たされぬ愛、悩み、悲しみ、残酷さ、受け入れがたい他者に対する不本意と強引な自己表現。
こころに悩みをもつ人々が増大する現代社会で、救いようのない状況に出会った時、我々はいかに生きるべきか?生きるとはどういうことか?――
「私と踊って」はそんな現代人の持つ心の闇を容赦なく突きつけ、えぐりだし、やがてピナ・バウシュの深いまなざしのもと「生きることへの絶望からの救済」へと昇華していく。観客は会場に入ったときから作品に取り込まれ、舞台への参加が呼びかけられているようだ。「私と踊って」、踊って、踊って、、、と。
制作ノートより:雪に覆われた丘を思わせる白い急斜面。床に枯れ枝、さらに根に土のついた白樺の木。
*ジョセフィン・アン・エンディコット Jpsephine Ann Endicott
ロンドンのダンスセンターに留学時、ピナ・バウシュに見出され、1973年ヴッパタール舞踊団結成メンバーのひとりとなる。1987年退団するが、以後ゲストダンサーとして出演。パリ・オペラ座バレエ団がピナ・バウシュの「春の祭典」およびダンスオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を上演する際、リハーサル・ディレクターを務め、両作品とも好評を博す。その功績により2008年フランス政府からレジョン・ド・ヌール・シュヴァリエ勲章を受ける。
〜時折、熱狂的なファン・レターをもらうことがある。今回はパリから常にない真剣な長文の手紙が届いた。「私と踊って」を上演していないパリから。それは自殺しようと考えていたという男性からだった。慄然とする。彼は、この作品を見て救われたことを心の底から感謝している、と書いていた。信じられない。私こそピナの初期の多くの作品に感謝している。それらは私の人生において大切なものだ。そのように感じつつ踊っている。〜 J・A・エンディコット著作より抜粋










